貨車を連結する時は機関車が仕訳線まで入り込んで行くが、仕訳線に貨車を仕訳する時には機関車が仕訳線まで入り込んで貨車を置いて来るようなことはしない。突放するのである。
貨車用ターンテーブル(山陽本線糸崎駅) & 糸崎運転区
貨車用ターンテーブル
昭和52~53年頃に山陽本線糸崎駅のはずれで見かけた貨車用ターンテーブル。
もっともターンテーブルと呼ばれていたのか否かは不明で、他に正式名称があるのかも知れない。


赤丸の部分が貨車用のターンテーブルがあった場所。

「糸﨑倉庫側線」とある。
「崎」ではなく「﨑」である。
この会社は1921年(大正10年)設立で現在も営業している。
冒頭の写真の奥の方にはパワム(ワム80000)が並んでいる。
その手前にターンテーブルがあり、順次ターンテーブルにのせ、人力で90°転回させて倉庫群に入っていくようだ。
ターンテーブルのさらに手前(つまり、写真を撮った場所)は貨車1両程度が入るスペースがあり、そこで行き止まりである。
砂利線
冒頭の写真の左手上に写っている人は隣の砂利線の砂利に水を撒いていた。
砂利といってもセメントなどに混ぜるものではなく、線路に敷くバラスト。

砂利線には3両編成程度のホキ800と両端に緩急車ワフが連結されていた。
これにバラストを積んで、時折工事用臨時列車(工臨=こうりん=)として保線作業に向かっていたようだ。
糸崎運転区
赤丸をつけた糸崎連動図の中で、赤丸の右側にあるのが糸崎運転区。
前身の糸崎機関区時代には山陽本線や呉線を行くC59やC62など多数の大型蒸気機関車が所属していた。
ただし、糸崎機関区自体は1972年(昭和47年)には廃止され、この連動図が作成された昭和52年頃には糸崎運転区となっており、電気機関車が数両と入換用ディーゼル機関車が休んでいるような状態であった。

わずか3線のみとなっており、寂しい限りである。
隣は電留1~電留3、貨物1~貨物3。
電留とは電車留置線。
当時糸崎には客貨車区もあり、ここはそこの持ち分。


結構いろんな機関車が停泊していたようだ。


海側の道路から見たところ。
更地になっているが、昔はこのあたりに機関庫などがあったものと思われる。