1号機 購入顛末記

[GT125-2型](1975年5月)

高校1年の10月頃、バイクの免許を取ろうと自動車学校に行くと年末まではいっぱいの状態であった。
クラスでは約半数が校則違反の免許所持者で、これまた校則違反のバイク所持者が増加していた。

やむなくすぐに取れる原付の免許をまず取ってみた。..校則違反者の仲間入りとなってしまった。

冬休みには郵便配達のアルバイト。2~3日は郵便局のおじさんの後ろをついて道順を覚えることになった。

局から離れた地域での配達とあって郵便局のおじさんは赤いカブ、こちらは自前の自転車。
郵便局のおじさんも気にかけてくれるが、さすがについていくのはきつい。

自宅近辺であったため、昼休みに家に帰っておとーちゃんに話すと、会社のカブを借りてきてくれた。

雑誌で運転の仕方を読んだことがあるが、実際に乗るのは初めて。
とりあえず、エンジンのかけかただけ教えてもらって家を出た。
..わずか1~2分の講習であった。今考えればうちのおとーちゃんもよくエンジンのかけ方だけ教えて出発させてくれたものだ。
アクセルの回し方が雑でギクシャクしたり、ロータリー式のギヤシフトであるため3速→ニュートラル→1速で急な減速をしたり..
まぁ、2~30分もすれば慣れたが、緊張のしっぱなしで郵便配達の道を覚えるどころではなかった。

こんな訳で、まさに本を読んだだけで誰に教わることもないペーパードライバーが生まれたのであった。

年があけて早々に自動二輪免許取得。
教習所にあったスズキのバイクは左キック式。まぁエンジンはいつも暖められていたこともありなんとか始動することはできたが、やはり左キックは難しい..

高校2年生になった5月、スズキGT125を購入。と言っても貯めた小遣いや短期間の郵便配達のバイトでは買えるようなものではない。買ってもらったというのが正しいところ。

スズキ GT125。 行動範囲を一挙に広げてくれたバイクである。
学校から帰っては毎日のように乗り回していた。

当時、鉄道写真を撮り始めた頃だが、何せ、足となるのは自転車。鉄道沿線まで7~8kmの距離であったが、高架化が進み写真を撮れる場所を探すにはさらに遠くまでいかなければならず一苦労だった。
その昔、山陽本線糸崎駅に隣接した機関区には蒸気機関車がたむろしていた。しかし、私が写真を撮るようになった頃には電化進みすでに蒸気機関車はいなくなっていたが、一度は訪れたい駅であった。
その糸崎駅まで約30km。バイクに乗れるようになってやっと訪れた時には、雑誌に載っていたような活気ある機関区ではなくなっていた。
とある日、某所の駐輪場にバイクを止めて用事をすませ、戻って来てバイクに跨ってビックリ!
タンクがボコッとへこんでいた。しかももの凄いへこみようだ。バイクを止めたところがコンクリートブロックで作ってある花壇のすぐ隣だったため、誰かが倒してブロックの角でタンクがへこんだのである。
バイクは元通り立てらせてあった。これが、バイクが倒れたままコンクリートブロックとタンクがくっついたままの状態だともっとショックが大きかったかもしれない。ヂグジョ~

ちょうどその頃、車購入の商談中であったため、そのローンとバイクの修理や維持は経済的に両立しないだろうと思い売却。 タンクがへこみさえしなければもう少しバイクも手放してはいなかったかもしれない。

約2年間の所有であった。

色あせた写真しか残っていない..